哲学

人間は人生の中で哲学する時期ってあると思うんです。私は第1次哲学期は高校で一応卒業(私は解脱と呼んでいる)したのですが、大学にも悩んでる友達とか居ます。
そういう友達を見ていて「自分も悩んでた時期とかあったなー」って思ったりもするんです。
で、そこから解脱するのにどう成長したかって聞かれると「無知の知」としか答えれないですね。知らないという事を知っている。自分のことに関しても、世間のことに関しても。
ただ、この「知らない」という事をわかることが人間にとってなかなかムツカシイと思うんです。
少し考えたら世の中「知らない」ことだらけだってことはすぐに気付くんですよ、そこから次の段階が始まるんです。それが「知らない」ことを認めるコト。気付いても認めなければ知っていることにはなりませんから。
昔、日経の広告で「新聞を疑え」というのがありました。(最近朝日もそれを真似した広告出してましたけど)本当に世の中疑うことだらけですよ。でも疑うと鬼になっちゃいますからね。
私は新聞を疑う必要はないと思うんですよ。だって、新聞記者だって自分の記事にどれだけの影響力があるかわかって書いてるんですから。新聞記者が読者にこういうことを伝えたいのだと言うことを信じればよいと思うのです。
それは人間関係においてもそうで、「浮気をしたかどうか」が大切なのではなく「浮気をしたことを知られたくないか」どうかが大切なのです。
美輪明宏御大が「外は嘘ばっかりで本当の所は全部内側にある」という風なことをおっしゃってました。確かにその通りです。しかし、嘘をつくのが人間ならばその嘘もその人の本心なのです。浮気をしたことを知られたくないと思う気持ちは、その人にとって事実なのです。
どんなに腹黒いことばかりを考えていても、行動しなければそれは事実とはならないのです。その逆もしかり。しかし、腹黒いことを考えていると言ってもそう行動しないと言うことは真相心理の中ではそれを停めるPUREな自分のほうが勝っているということなのです。
と思い、表面だけを信じて生きて数年・・・気付けば「世間知らずのお嬢さん」というレッテルを貼られていました。
でも、疑うことにも疲れたし、別にそれで良いやと思う今日この頃。
だからって、社会に出たらそう云う訳にはいかんだろうけど・・・タテマエってムツカシイ。