ちょっと風邪ひく5秒前

風邪になると急に心細くなる。こう言うとき女は好きな男のことを考えてしまう。コレット・ダウリングも風邪で3階に閉じこもっていたときこんな気持ちだったのだろうか?これがシンデレラコンプレックスなのだろうか?
しかし、この気持ちは男女問わず存在するものなんじゃないのか?だとしたら男もシンデレラなのか?
私はジェンダーの問題にはそれほど興味がない。でも、興味を持っている友人は多いみたいだ。私の場合、友達にジェンダーマイノリティが多いので興味を持たざるをえなかった感があるが、今年の春学期に取ったジェンダーの授業は登録規制をするくらい登録者が多くて、しかも皆結構真面目に受けていた。
女子大だからなのかもしれない。ということはこの齢20前後ですでに女性が女性だと認識せざるを得ない場面に遭遇していると言うことなのか?フェミニズム運動にも様々な形があるが、私は概してフェミニズム運動、運動家と言うものが嫌いだ。と言うか何かに対して権利を主張するような団体が好きではない。
理由はよくわからない。女の権利を。と呼びかけるその行為に女性として恥かしさを感じるのかもしれない。と言うことは私はまぎれもなくフェミニズム運動家たちの言うところの現代社会の悪に染まってしまっていると言うわけだ。
確かにそうかもしれない。子どもの頃は、お姫様ごっこをしたしディズニーの映画を見て育った。告白は男の方からするのが当然だと思っているし、未だに王子様を待っている・・・のかもしれない。
体力に関しても女性の方が男性より劣っていると思うし、仕事で女性が舐められるのにもそれほど違和感を感じない。世の女性は社会に進出したくて進出したくてたまらないらしいが、短大出て花嫁修行と言う名目で親の金を使ってしばらく過ごし、見合い結婚でも私は満足だ。
いざとなったら誰かに守ってもらいたいし、昨今のフェミニズム運動のせいで就職してお茶汲みとコピー取りだけが仕事の腰掛けOLでは通用しない世の中になってしまったことにひどく憤りを感じるくらいだ。
だいたい、お茶汲みとコピーで給料がもらえることに男性社員から文句が出るならいざ知らず、何故女性から文句が出るのか。女性はそんなに仕事がしたいのか?自ら進んで荒波に身を投じようとするのか?楽して暮らせりゃそれで良いじゃないか。家を守って旦那につくせば良いんじゃないか?
だいたい、文化、習慣の違うほとんどの世界の国で男尊女卑の傾向があると言うことは、それが人としてあるべき姿だということではないのか?デスクワークが増え、そのあるべき傾向が変わって行くならば長い年月を掛け、自然に変わって行くのではないか?それを言語で変えて行こうとするトコロは人の人として最も野蛮な部分だと思う。
ジェンダーの問題と一言でいっても、マイノリティの人達が起こす運動とはまた別のトコロでフェミニズム運動と言うものがある。マイノリティジェンダーの人にも差別のない世界を。とは言うがマイノリティでないジェンダーの問題がガタガタいっている段階なのにマイノリティにまで目も手もまわらないというのが現状だと思う。
マイノリティの友人はマイノリティが自分の存在に疑問を感じないような社会が出来ればいい、ってな事を言っていたがそれは机上の空論でしかない。なぜなら人は自分の存在を常に疑問に感じる生き物であり、他人と違う部分を見つけては一喜一憂するのが普通だからである。
私はあの子より目が小さいとか、あの子よりは頭がいいとか、あの子より女らしいとか男らしいとか。他人である限り違う部分があるのは当然で、それがなければ人は自分を認識できないから、他人と違う部分と言うモノは自分を自分たらしめる最大の要素なわけだ。
しかし、大抵の場合、それは小学校にはいるまでに認識されるわけで、ジェンダーマイノリティが特別なのは多くのジェンダーマイノリティが自分をマイノリティだと認識するのが第二次性長期、つまり小学校高学年から中学生の頃にかけてだと言うところにあるのではないか。
何故なら、その頃の人間と言うのは非常に不安定でもろく、少しのことでも心が大きく乱れるくらい感性がみずみずしいので、その時に自分は他人とは違う、と言うことに気付くのは非常に心の負担になるのだと思う。
しかも、その存在が世の中から比較的排他される存在であるなら尚更である。今まで自分が笑ってきたオカマのおじさんに自分がなろうと言うのだからその精神的負担は計り知れない。
子供と言うのは残酷なモンで一般と違うものをことごとく排他しようとする。その辺の感覚は理性のある大人の方がましである。ということは自分と違うものを排他しようとするのも人間としての本能という事になる。
その本能が自分の内にあることを知ってしまってから、自分がその排他されるべきものになってしまうのだから、そこには私たちにはわからないくらいすさまじい葛藤があるのだろう。
人によっては自分で自分を排他してしまうかもしれない。
とにかく、この面のケアに関して、日本ではとても対応が遅れている。